リーディングDXスクール事業 特別講座 これからの授業!どうするの!?
2023年12月12日に実施された“リーディングDXスクール事業”特別講座では、文部科学省視学官 直山木綿子氏とリーディングDXスクール企画委員長 堀田龍也氏が登壇しました。
これまでの講座とは違い、GIGA端末を活用した授業の在り方、教師の役割、授業を通じた子どもの変化などに関する話題について、対談形式での講座が展開されました。
本記事では特別講座の対談の様子をリポートします。
登壇者
文部科学省視学官 直山木綿子 氏
東北大学大学院 情報科学研究科教授
東京学芸大学大学院 教育学研究科教授
リーディングDXスクール企画委員長
堀田龍也 氏
直山氏による授業レポート
対談に先んじて、本講座の冒頭では直山氏から、板橋区立上板橋第四小学校におけるICTを活用した曽根原先生の授業の実地レポートが発表されました。
直山氏は曽根原先生の授業を視察した際、従来の授業とのギャップに大きなショックを受けたと語ります。
その例として直山氏が挙げたのは、曽根原先生が授業中「(○○さんは)~だって」という言葉を多用していたことでした。
子どもの発言をそのまま受け流し、別の子どもたちに「(○○さんは)~だって」と伝える様子は、これまで直山氏が行ってきた授業とは全く異なるものだったと語ります。
また、曽根原先生がパソコンを持ちながら教室を巡回し、「○○さん、こんなことを書いたんだね」「○○さん、とても具体的でいいですね」というような声掛けを行い、子どもの学びの成果をチェックするなど、子どもを見守る一方で具体的な指導を行わない授業の様子を紹介しました。
なお、直山氏は曽根原先生が時折授業を中断して従来の授業のような一斉指導を行っていたことについても触れます。
一斉指導をする際には、教室前方のモニターに良いモデルを提示し、全体で共有した後、優れた点や特徴を説明したうえで目標の再確認を行い、再度自由な学びの時間に戻していたといいます。
授業終盤、子どもは端末を通じて、授業の成果や振り返りを提出。提出された文章やスピーチの録画を全体で共有し、先生がそれぞれの成果を褒め、アドバイスをし、授業を締めくくっている様子を紹介しました。
今回の視察は11月に行われたものですが、直山氏は約半年前の5月から授業の視察を行っていたことを補足。
5月当時の授業と比較して、子どもたちが非常に活き活きとしている様子に驚いたことを述べました。
授業後、「以前からこのような授業だったのか」「こんなに子どもに主導権を渡しても良いのか」と質問をしたところ、曽根原先生は「最初は怖かった」としつつも、端末をうまく活用して子どもを自由に行動させてみたら、今のような授業が成立するようになったと返答したそうです。
直山氏は「今は私自身もこんな授業がしたいという気持ちがとても強いです」と、ICT環境を活かした子どもたち主導の授業形態への関心・意欲を示し、レポートの発表を終えました。
直山氏と堀田氏の対談
レポートの発表が終了し、続いてはレポートの内容に基づいて、直山氏と堀田氏の対談が展開されました。まず話題として上がったのは曽根原先生の授業観についてです。
ICTを利用した新しい授業の在り方
堀田氏:今の話(直山氏のレポートについて)、僕はとても良い話だと思うんですよね。教育のオーソリティである視学官の直山氏が「私もやってみたい」という自己開示をすることが、まずすごいと思うんです。
直山氏:ありがとうございます。
堀田氏:各地方を回っていると、ICT利用に関する学習を一生懸命やってる人に対して、指導主事が「これは授業じゃない」と発言されることがあります。
いわゆる「私たちが知っている授業とはこういうものだ」というステレオタイプから抜けられずに助言をしてしまって、若い人の頑張りや挑戦を抑えてしまうことが結構あるなって思うんですよ。その点、直山氏は柔軟ですごいですね。
直山氏:ありがとうございます。堀田先生がおっしゃったことは、指導主事さんだけでなく、教師も同じだと思うんですよ。ご自身が小中高で受けてきた授業のイメージがあり、さらに自分は子どもたちより知識も技能も上になるので、「教えてあげる」っていう意識があると思うんですね。それで、子どもたちを自分の枠に嵌めてしまう。私なんかその最たるものでした。
直山氏は自分の授業観についての反省を述べつつ、続いて宿題を忘れた子どもに対する曽根原先生の対応を称賛しました。
直山氏:曽根原先生の授業で、宿題をやってきていない子が一人いたんです。その子は明らかに焦っているんですけど、曽根原先生は無視しているんです。
堀田氏:本当は気付いているんですよね。
直山氏:もちろん、気付いているけど取り合わないんです。曽根原先生はどうされるのかな、と思って見ていたら、子ども同士がお互いに宿題に関する情報共有を始めたんです。宿題をやっている子は他の子に情報提供できるけど、宿題をやっていない子は情報提供ができないと。
そこで曽根原先生はその子に、「どう?宿題やってこないということがどういうことか分かった?」と声をかけていたんですね。「あなたはこの人がやってきたことを受け取れるけど、あなたはこの人にお返しができたかな?宿題をやってこないってこういうことだよね」って。
私はその助言にも驚きました。自分だったら、「宿題をやってきなさい」っていう私の指示に従わないことに怒ってるから。私はその時に、自分がとても恥ずかしくなりました。
堀田氏:この曽根原先生の指導は、「自分の学びは、自分で責任を取らなければ、他の人にも迷惑をかけるし、(他の人から色々と教わっていることに対して)恩返しができないんだよ。」という、みんなで学ぶことの重要性を教えていると思いますね。
曽根原先生の授業に見る子どもたちの変化
直山氏は再度、宿題を忘れた子を例に子どもたちの学ぶ姿勢の変化に言及します。
直山氏:宿題をやってこなかった子は授業開始時は提供できる情報がゼロなわけです。だけど、自分だけ情報提供しないわけにはいかないから何とかしなきゃいけない。その意識のおかげかは分かりませんが、授業の終わり際には授業内容について少し喋れるようになっているんですよ。
それで授業の最後に、「彼は宿題を忘れたけど、今日みんなのおかげでゼロからここまで頑張れました。宿題をやってきたらもっと伸びたよね。」というように、みんなで彼が宿題をしてくるよう応援しようって伝えるんです。
堀田氏:学級で助け合ったり協力しあったりするような、良い学級風土みたいなのももうすでにあるんだろうし、そういうのを作りながら授業をしているんですよね。きっと。
直山氏:ただ、先ほど申し上げた通り、5月のころはそうではなかったんですよ。
堀田氏:今の話は何月の話だったんでしょうか?
直山氏:11月ですね。本当に6ヶ月〜7ヶ月で子どもがここまで変わるということに驚いて。なぜ子どもたちが変わったのかを考えてみると、曽根原先生は子どもを信用して委ねているんですよね。子どもは委ねられたからこそ自分たちで勉強もするし、グループでもやるし、というような信頼関係が強くなったんじゃないかなと感じました。
堀田氏:これは一般論になりますが、きっと子どもたちはこの学び方に半年かけて慣れたんですよね。子どもが慣れるために先生は最初は強めに助言していたかもしれませんが、今は「〜だって」って言えば済むぐらいに子どもが自主的にやっているし、さらに信頼を置けるようになって、すっかり子どもに任せられるようになったんでしょう。
このように、曽根原先生の行う新しい授業は子どもとの信頼の上に成り立っていることを確認し、話題は従来の授業観からの新しい授業への変遷に移りました。
従来の授業観からの脱却
堀田氏:こうした授業風景を紹介すると「うちのクラスの子どもはそこまでできない」と言う方もたまにいますが…。やはり直山氏も結構耳にしますか?
直山氏:結構耳にしますね。気持ちはとても分かります。でも、「この子だからできるんだよ」という言葉は言い訳ですよね。
以前、機会があって、大学院生の方を相手に講義をする機会がありました。大学院生さんのうち4分の3が現職教員で、4分の1が学部から上がってきた大学院生でした。
私は「ICTはあまり使えないけど、とにかくやってみよう」と思って、曽根原先生のような講義をやってみたんですよ。特に意識したのは「〜だって」というキーワード。授業で院生が何か発言をしたら「〜だって」ってみんなに言ってみたんです。
堀田氏:そこからマネしたんですね。
直山氏:「~だって」って言ってみたら、聞いていたみなさん(特に現職教員の方)が「プッ」って吹き出すんですよ。その時、私は教師が「~だって」という言葉を使うのはよくないって思ってるんだなあと感じました。
堀田氏:つまり、先生がうまく説明したり、子どもの説明を言い換えたりしないと教師としての仕事を果たしてないような気持ちになるっていうことですね。
直山氏:そう、それを感じましたね。私はここで負けたらダメだと思って、「~だって」を3回くらい繰り返しました。そしたらみんな「え、まだ続くのこれ?」っていう感じだったんですけど、意見が少しずつ出されてきたんです。
もちろん、中にはこのやり方に反発を感じていそうな方もいましたよ。ただ私は曽根原先生のように端末機を持って教室の中をずっと歩き回って「○○さん、具体的でいいですね」「○○先生、どんなことを調べてるんですか?」というように話しかけていきました。
そうするとみんな自分で調べ始めたり、遠慮がちではあるものの隣同士でしゃべり出したりするんですよ。
堀田氏:それは要するに、大学院生にも関わらず、生徒は、授業というのは先生が何かを教えてくれたことを一生懸命覚えたり考えたりすればいいのだという、受信者の姿勢になっていると。
逆に言うと、自分たちが発信し、つないでいくという授業の構造にはなってないということですね。
直山氏:そうです。ただ、私はこの教材研究講座のために何もしてなかったかというと、とても細かく用意していたんです。私はそこで、曽根原先生がいかにシミュレーションをして、いかに授業の準備をしているかを再認識しました。
続けて直山氏は学習指導要領において言及されている、深い考え方をするための「見方・考え方」と曽根原先生の授業の関連性を語りました。
直山氏:この授業を通じて考えたのは、学習指導要領にもある「見方・考え方を働かせ」という言葉とのつながりでした。
子どもたちに発問して、「ここは譲らないよ、ここは先生がきちっとやるよ」という考え方は、「見方・考え方」の思想とリンクしているのではないかと思ったんです。
堀田氏: その「見方・考え方」を働かせているのは学習者側ですよね。最初から「見方・考え方」を充分に持っているわけではないから、先生が何かを言うことで「そこを見るのか」とか「それを考えるのか」という風に子どもが感じることで、「見方・考え方」を学べると。
つまり「○○さんはこうやってるんだよ」っていうことを取り上げて見せることが、「見方・考え方」を働かせるための助言になるということですね。
直山氏:そうですね。そのためには、教師自身が「見方・考え方」がどのようなものなのかを理解しておく必要があると思います。
「見方・考え方」を念頭に置いた上で教材研究や授業を作っていかなければ、どこで一斉授業やるのか、どこで子どもに委ねるのかというのが浮かばないのではないかと感じました。
このように、堀田氏は「見方・考え方」を意識した授業観の重要性を説き、話題は子どもたちが主体となる授業形態に移りました。
子どもたちが主体となる授業
堀田氏:ここで少し曽根原先生の話を振り返りますが、曽根原先生の授業では子どもは立ち歩いていますよね?子どもたちは立ち歩いて何をしているのでしょうか。
直山氏:友達に教えにいったり、誰かを呼んだりするんです。サッと教えてもらって、サッと帰っていく…。何もなかったかのように物事が進むんです。
堀田氏:そもそも机の上に端末があってクラウド上でも共有されているわけなので、他の人がやっていることは手元で見れるはずなんです。それにもかかわらず、直接行くところが子どものおもしろいところですよね。
直山氏:そうですね。子どもは端末を通してもやり取りするけど、直接のやり取りも大切にしています。
堀田氏:「デジタルだと体験が減る」「対面ができないときはオンラインで」という意見が出てくることもありますが、僕個人としてはどちらもあっていいんじゃないかと。両方が共存しているから、この場合は直接行きたいとか、この場合はデジタルで、とかを自分で決める。その主体性が大事ではないかなと思うんですよね。
直山氏:自分で決めて、決めたことに自分で責任を持ってやるっていうことを、私たちはこれまでさせてきたのかなと。
堀田氏:これからの時代は激動の時代じゃないですか。 長い人生の中で、一つのことをずっとやっていくわけではないので、途中で色々な人生の転換点があると思うんですよ。
そのときに、偏差値で決まりました、みたいなのではなく「僕がそこに行ってこれをやりたいって決めたんだ」とか「僕はこういう風なことを学びたいから今ここにいるんだ」というように、自己選択、自己決定はこれからの時代、不可欠になりますよね。
堀田氏は子どもたちが主体となる授業の必要性が今後さらに高まることを強調し、話題は端末利用による教育の変革に移ります。
堀田氏:大人になって、コンピューターを使わずに問題を解決するっていうのは非常に効率が悪いですよね。端末で必要な情報を得て、どれを使うかを判断するのは自分で決める、という感覚を私たち大人は持っています。
同様に、子どもの学びに端末を使えば、子どもたちも学びやすくなると思うんです。まずは端末に慣れなければいけないけど、慣れれば必要な情報をいつでも調べ、友達とも参照し合うこともできます。
先生のペースで教えてもらうことも必要かもしれませんが、それだけでなく子どもが自分のペースでリソースにアクセスして、大事だと思うところを自分で考えてやっていく。それがICTの効果だと思うんです。曽根原先生や直山氏のように、授業観が変わっていけば、教師が子どもたちを理解する助けになると思うんですよね。
直山氏:そのきっかけが端末機だということは感じますね。不易流行という言葉がありますが、この言葉は不易VS流行と解釈されることが多いですよね。
しかし実際はそうではなく、時代に即したものを取り入れていかない限り、不易なもの(不変的なもの)を追求することはできない、という意味合いの言葉なんですよね。
堀田氏:全くその通りですよ。教育の場合、「不易」というのは子どもに力をつけるという事だと僕は思います。信念、こだわり、知識なんかを自分で身につけていく時に、どういう学び方でやるかは時代によって変わっていくんですから。
大人がやっているように、学びやすくなるものがあったらそれをどんどん使って学ぶということを子どももやる。そういう風にしたらいいと思いますね。
堀田氏は端末をうまく利用し、時代に即した手段で学んでいくべきだという意思を示し、話題は教師の授業の組み立て方に移ります。
教師はどのように授業を組み立てるべきか
堀田氏:曽根原先生が授業で単元の目標と本時の目標を紹介したあと、授業を途中で止めていることがありましたよね。このとき何をされていたのか、お伺いしたいですね。
直山氏:たとえば外国語の授業ではコミュニケーションを行う目的や場面・状況の設定をとても大事にしていて、場面状況に応じた適切な読み取りや聞き取りをするのが外国語教育のとても大事な部分です。
でも、子どもはしばらくするとどんな目的だったか、どんな状況だったかを忘れちゃうんですよ。なので曽根原先生は「どういう場面だったっけ?」という再確認をしていたんですね。それで子どもが「そうだった!」みたいに目的を思い出せるわけです。
堀田氏:つまり、子どもたちが一生懸命やりだすと、「木を見て森を見ず」の状態になりがちなので、時々軌道修正をするということですか。
直山氏:はい。あとは子どもによる良い例を画面に映して「あ、こういうところが良いんだな」ということを子どもに理解してもらって、発表をさらにブラッシュアップする、ということもされていましたね。
堀田氏:授業の途中で子ども同士がお互いに参照できるっていうのは、その子の学びにとってとても意味があることだと思います。そのために端末の存在が役に立つっていうことですよね。
直山氏:曽根原先生は全体的に授業の進行がブレてるなと感じたら、一旦ストップをかけて、確認を行います。だから、一斉指導をないがしろにしているわけではないんです。一斉指導も必要だけど、子どもに委ねるところも必要。 委ねられた子どもはデジタル教科書でも、紙媒体でも、どんな学び方をしてもいい。
堀田氏:つまり、教えなきゃいけない内容を授業で詰め込むということよりも、子どもが自分が今わかってないのはどこで、そのためにどのリソースに当たればよいか、どのやり方だとうまくいくかをブラッシュアップしていってるから曽根原先生のような授業になるということですね。
直山氏:自分の課題に合う方法を見つけるためにはどんな方法があるのかな、っていうことを子どもが知っておいて、自分の課題は何かなって子どもがわかるためには内省しないといけない。曽根原先生はそういう時間を授業の端々に用意しているんです。
このように授業における教師の役割を再確認したのち、対談は堀田氏による総括に移っていきました。
堀田氏:直山氏のように自分の授業の仕方を冷静に振り返って反省し、自分でもやってみようと挑戦する、そんな管理職のもとで働いたら多分先生たちも挑戦欲が湧くと思いますね。それは違うぞ、授業というのはそうじゃないってばっかり言われてたら頑張れないじゃないですか。
本対談を聞いている方の中には教育委員会の人とか、管理職の人とかいると思いますけど、ぜひ心優しく若い人の挑戦を認めてほしいなと思いました。
今日は先生の考え方や授業観、一斉指導についてなどいろいろなことを聞けました。直山氏、お忙しいところお時間を取っていただいて本当にありがとうございました。
直山氏:ありがとうございました。とにかく良い授業を子どもと一緒にしたいですよね。子どもに「いい教育受けてましたからね」って言ってもらえるような授業ができるようになりたいですね。
新しい授業に向けた直山氏の意欲的な言葉をもって、本対談は締めくくられました。